範多機械(HANTA)の重機・建機高価買取致します!!
範多機械(HANTA)の重機・建機高価買取致します!!
1955(昭和30年2月)
大阪市北区兎我野町に本社設立
1955(昭和30年)
ロードローラおよびコンクリート舗装機械の製造動力式、台車付のアスファルトスプレヤを開発
1958(昭和33年)
散布作業を機械化した骨材(チップ)スプレッダを開発
1959(昭和34年)
国産として初めてのけん引式アスファルトフィニッシャを開発
1966(昭和41年6月)
大阪市西淀川区竹島5丁目に工場を建設
(現竹島第二工場)
1968(昭和43年4月)
東京都港区南青山に東京営業所を開設
1960(昭和35年)
均等高速度散布を目的としたアスファルトディストリビュータを開発
1964(昭和39年)
道路行政に呼応して常温混合式アスファルトプラントを開発
1965(昭和40年)
凍結防止剤散布機を国土交通省と共同開発
1972(昭和47年2月)
本社事務所を現竹島第二工場所在地に移す
1978(昭和53年1月)
福岡市博多区駅南に福岡営業所を開設
1970(昭和45年)
生活道路への注目を予測し、小形アスファルトフィニッシャを開発
1979(昭和54年)
小形路面切削機を開発、道路の維持・補修に小形ヒータ付を国産化し、その後小形常温切削機も開発
1984(昭和59年6月)
東京都板橋区三園に東京営業所を移転
1986(昭和61年4月)
大阪市西淀川区御幣島に歌島工場を建設
1987(昭和62年10月)
大阪市西淀川区御幣島に開発工場を建設
1988(昭和63年10月)
大阪市西淀川区御幣島に本社用ビルを購入
1989(平成元年5月)
同本社用ビルに管理部門及び営業部門を移転
1981(昭和56年)
イラクへアスファルトディストリビュータ180台を輸出
1982(昭和57年)
路面加熱専用のヒータ車を開発
1983(昭和58年)
路上表層再生機(リペーバ)を開発しメーカーとしてはじめて標準品販売に着手
1984(昭和59年)
路面切削機の開発にともない、切削廃材積込機を開発
1985(昭和60年)
路上表層再生機(リミキサ)を開発
1986(昭和61年)
中形路面切削機を開発
1987(昭和62年)
空港などの大規模散布用として、超大型凍結防止剤散布車を開発
1990(平成2年3月)
新潟市鐙1丁目に新潟出張所を開設
1990(平成2年12月)
資本金を増資し90百万円とする
1991(平成3年5月)
本社ビル隣接地に部品センターを設置
1996(平成8年7月)
仙台市若林区卸町に仙台営業所を開設
1999(平成11年12月)
大阪市西淀川区竹島に新工場
(現第一工場)を建設し、歌島工場を併合)
1999(平成11年1月)
新潟市青山に新潟出張所を移転
1992(平成4年)
超小型アスファルトフィニッシャF14Cを開発
1993(平成5年)
究極の小型アスファルトフィニッシャF31CDを開発
1995(平成7年)
空港関連特装車ラバトリーカー及びウォーターサービスカーを開発
1995(平成7年)
3段スクリード搭載のアスファルトフィニッシャF1740Cを開発
1998(平成10年)
超小型路面切削機CRP-35を開発
2000(平成12年5月)
旭川市東光に旭川出張所を開設
2000(平成12年9月)
大阪市西淀川区竹島に新工場
(現竹島第三工場)を建設
2001(平成13年2月)
札幌市西区発寒に札幌営業所を開設し旭川出張所を吸収
2001(平成13年12月)
一宮市大和町に中部営業所を開設
2004(平成16年1月)
広島市西区中広町に中国営業所開設
2004(平成16年8月)
福岡市博多区空港前に福岡営業所を移転
2000(平成12年)
エア式ディストリビュータ DSA-15を開発
2001(平成13年)
4.5m級アスファルトフィニッシャを開発
2002(平成14年)
コンクリート供給専用機スーパーチャージャーFS-150を開発
2003(平成15年)
フォームドスタビライザKS-200を開発
2005(平成17年)
チップペーバHCP-41Wを開発
2006(平成18年)
アスファルトフィニッシャF2045W2を開発
2009(平成21年)
固化材散布機HCL60を開発
2009(平成21年)
アスファルトフィニッシャF45W3を開発
MS-03/MS-05/MS-10/MS-15/MS-SWT/MS-BIT/MS-BWT
慶応元年4月、英国人E.H.ハンター氏が来日し、神戸に貿易商社 範多商店を創業した。範多商店(後に(株)範多商会)の機械部は、輸入及び国産ロードローラの草分けたる 『ハンタのロードローラ』 を販売し、大正時代から第二次大戦終了時まで国内で名声を博した。
当社は、昭和30年2月に同機械部を継承して設立され、引き続きロードローラの製造を再開し、また、コンクリート舗装機械の製造を開始したが、その後生産機種をコンクリート機械からアスファルト機械に転換して、アスファルトスプレヤ及びディストリビュータ を開発し、折りからの道路舗装の増加に伴い周辺機種及びシリーズ化の拡大に努め、時代の要請に応えた。
昭和48年 オイルショックを境に情勢は一変したが、引き続き小型アスファルトフィニッシャーを開発、国内外の評価も高まり、近年は ドイツに毎年輸出の実績を持っている。昭和57年にはイラクにアスファルトディストリビュータ を大量輸出し、また、中近東、東南アジア、北アフリカ、南米等 世界各地に現在も輸出中である。
一方、今後期待し得る道路維持機械として、凍結防止剤散布車、路面切削機、路上表層再生機等を製品群に含め、これらのシリーズ化に成功、更に凍結防止剤貯蔵設備を開発して、今後一層 維持関係機種 を充実し、多様なニーズに幅広く対応し得る態勢の強化を図っている。