中道機械(HANIIX)の重機・建機高価買取致します!!
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1945年
中道昌喜、中道兄弟商店を札幌に設立する。
1950年
株式会社に改組し、社名を中道兄弟機械株式会社と改称する。
1956年
初の地方拠点として、旭川支店を開設する。
1963年
社名を中道機械株式会社と改称。
札幌証券取引所上場後、1999年まで
1963年
資本金を7,500万円に増資し、札幌証券取引所に上場。
1963年
株式会社中道機械製作所を設立し、生コンプラント・クレーンなどの自社製作を開始する。
1964年
資本金を8,000万円に増資。
1968年
中道機械サービス株式会社を設立し、サービス業務の拡大・強化を図る。
1969年
工場・倉庫・店舗などの産業施設、プール・体育館などのスポーツ施設の設計・施工を主業務とする工事部を設置。
1971年
資本金を1億円に増資。
1972年
中道リース株式会社を設立し、リース部門に進出。
1973年
資本金を1億3,000万円に増資。
1974年
中道レンタル株式会社を設立し、建設機械のレンタルを開始する。
1975年
資本金を1億4,000万円に増資。
1979年
株式会社中道機械製作所・中道レンタル・中道機械サービスを吸収合併し、それぞれの業務を事業部として継承する。
1979年
資本金を2億4,500万円に増資。
1980年
資本金を2億9,400万円に増資。
1981年
資本金を3億2,340万円に増資。
1982年
東北に中道機械株式会社(仙台市所在)を設立。
1984年
資本金を3億3,957万円に増資
1985年
代表取締役社長の中道昌喜、札幌商工会議所副会頭に就任し、1987年7月に退く。
1987年
東京中道機械株式会社を設立する。
1987年
当社と中道機械株式会社(仙台市所在)との合併契約書に調印する。
1988年
中道機械株式会社(仙台市所在)を合併し、東北支社として業務を継承する。
1989年
資本金を6億5,557万円に増資。
1991年
札幌証券取引所での中道機械の株価が、最高値1590円となる。
1993年
東京支社を開設し、関東地区における営業展開を開始する。
1993年
宮城県大崎市に古川工場を建設する。東北地区での建設業界用各種プラントの製作を開始。
1993年
本社の中道ビルが竣工する。
1995年
中道喜一郎、代表取締役会長に就任する。鉄井勝之、代表取締役社長に就任する。
1996年
東京中道機械株式会社を合併し、東京支社に併合して、業務を継承する。
1997年
売上高321億円を計上する。
2001年
この時より、生コンクリートなどの製造に関して工場の経理担当者による不正経理が行われる。
2002年
純損失4億2200万円を計上する。
2003年
純損失6億300万円を計上する。
2004年
3年ぶりに純利益を計上、1億3200万円である。また、売上高135億円となり、1997年1月期の半分を下回る。
2005年
純損失3億5200万円を計上する。売上高106億円となり、1997年1月期の3分の1を下回る。
2005年
中道リース株式会社と合併覚書が交わされ、「合併に関するお知らせ」が発表される
2005年
中道リース株式会社との合併が白紙撤回され、「合併の白紙撤回に関するお知らせ」が発表される。
2006年
純損失1800万円を計上する。
2007年
創業者で名誉会長の中道昌喜、死去する。88歳であった。
2007年
3年ぶりに純利益を計上、7900万円である。
2008年
純損失2億2000万円を計上する。
2008年
不正の当事者の申し出より、2001年からの不正経理が発覚する。合計3億7000万円の架空計上利益である。
2008年
札幌証券取引所より、中道機械の株、監理ポストに割当て
2008年
札幌証券取引所より、中道機械の株、監理ポストに割当てが解除になる
2008年
北洋銀行出身の鍬田信知、代表取締役に就任する。
2009年
民事再生手続き開始の申し立て及び決定。負債は、76億5,400万円である。
2009年
札幌証券取引所、中道機械の株、整理銘柄に移し、一ヵ月後の上場廃止を決定する。
2009年
中道機械、全従業員のうち、110名を解雇し、残り39名については、残務整理終了後解雇する見通しを明らかにする。
2009年
中道機械の株券、上場廃止となる。
2009年
中道機械の役職員28人により、東日本テクノ株式会社が設立となる。営業内容は、環境設備販売その他であり、中道機械の事業や拠点を受け継ぐものとしている。
2009年
「東日本テクノ」が本格的に業務を開始する。
H05/H08/H08-2/H08-F/H15/H24/H27/H30/H35/H45/HL40/HL50/HS30W/HS40W/HS50W/K&B550/N1/N1C/N2/N2C/N3/N3C/N4/N06/N06SS/N10SS/N11S/N20SS/N20SSDX/N20SSS/N20SSSTD/N21SS/N30SSDX/N31SS/N35/N40SS/N41/N41SSS/N45/N45-2/N080/N080-2/N120/N150-2/N220/N230-2/N250/N260/N260-2/N300/N300-2/N350/N350-2N450/NW300/NX/S&BX1/S&B15/S&B15H/S&B15III/S&B15S/S&B15SR/S&B15W/S&B20K/S&B20M/S&B20S/S&B22/S&B25/S&B25II/S&B25III/S&B25K/S&B25L/S&B25M/S&B25S/S&B25U/S&B30/S&B30K/S&B30S/S&B45S/S&B150/S&B300/S&B480/S&B500/S&B500L/S&B550/S&B580/S&B800
土木建設機械の販売から始まり、修理やアフターサービスなどのメンテナンスその他のサービス業にも手がけてきた。
1963年の中道機械製作所の設立より、生コンクリートプラントの自社製作にも積極的に取り掛かる。北海道の公共事業の波に乗り、日本の高度経済成長期に着実な成長を遂げてきた。北海道各地に支店を展開する。排水処理プラントなど建設関連プラント、立体駐車場などの施設の設計・製作・販売の分野にも進出する。建設機械レンタルにも、積極的に参入する。青森、秋田、仙台、山形、東京にも支店を構える。
バブル崩壊後も、しばらくは着実な事業展開であったが、公共事業の削減に伴い、1997年1月期売上高321億円計上をピークとして業績にかげりが出てくる。2002年1月期、2003年1月期には、純損失を計上する。2003年1月期には、3年ぶりに純利益を計上するが、売上高は135億円となり、1997年1月期の半分を下回る。2007年1月期の売上高は、90億2600円で、ピーク時の30%以下に落ち込む。人員削減や不動産売却などで、事態の打開を図る。2005年1月期に、また純損失を計上する。同年7月14日に、中道リースとの合併が内定したが、同年8月29日に合併が白紙撤回となる。2006年1月期も、純損失を計上する。2007年1月期に、3年ぶりに純利益を計上するが、2008年1月期に、また純損失を計上する。
2008年2月12日、監査法人の監査前日、札幌工場の経理担当の課長の自らの申し出より、不正経理が発覚する。本来費用とすべきところを、資産の部の仕掛品として、合計3億7000万円の架空利益計上とした。札幌証券取引所は、これを重視し、2008年3月13日に、中道機械の株式を監理ポストに振り分けるが、7月28日に一旦解除とする。しかし、対外信用は失墜したとまで言われる。
2008年5月にメーンバンクの北洋銀行から顧問に就いた鍬田信知は、10月21日に代表取締役社長に就任する。
2009年2月5日、民事再生法の申請となり事実上倒産する。負債は、76億5,400万円である。従業員全員に、一ヶ月の解雇予告が、同日付で出される。